GrapeFox公式LINE
ホーム>吉のワイン⽇記>テンプラニーリョに捧げる物語

Kichi's Journal吉のワイン⽇記

2023/07/21

テンプラニーリョに捧げる物語

吉 Kichi

ワインを造り、世界中のワインについて学び、そしてワインをこよなく愛するキツネの吉だよ。
世界中のすばらしいワインをみんなに知って欲しいと思っているんだ!
このブログでは、ブドウやワインのこと、生産国や歴史について、僕が知っているちょっとした豆知識を紹介していくね。

ワインの醸造家
エキスパート
赤ワイン用の黒ブドウ品種で、原産地はスペイン北部と言われているテンプラニーリョ。今回はそんなテンプラニーリョをイメージする吉の創作物語を紹介するよ!
Contents

セビリアの街全体が、固唾を呑んでその瞬間を待っていた。

偉大なミゲル・サラサール・デ・ラ・クルスの息子ドミンゴ・サラサールは、その日の午後、純血種の馬に引かれた馬車でトロス広場に華やかに登場する予定だった。

その年、ドン・ドミンゴは、スペイン文化への多大な貢献が認められ、セビリア市の勲功者に選ばれていた。

ドミンゴは父と同じく闘牛士として知られ、若くしてすでに100頭を超える牛の尾を手にしていた。

多くの専門家は、この偉業においてドミンゴは短いキャリアですでに父の功績を超えたと主張するほどだった。

つまりドミンゴがスペインで最も偉大なマタドールであると考えられているのは、当然のことだったのである。

 

 

ジャスミンの花の香りがする爽やかな風が、熱のこもった議論を繰り広げてはうなずき合う何千人もの身なりの良い男たちの間を吹き抜け、闘牛広場を包み込んでいた。

彼らの傍らにいる美しい乙女たちのまとう香水が、絶妙なスパイスのように空中に漂い、今や彼女たちの帽子を飾るジャスミンやクチナシの花をも凌駕しているようだ。

その香りは、すべてが終わった後でドミンゴが告白したように、この場をほとんど宗教的なものにしていた。

全国紙も来ていたし、革のベルトの上にたっぷりと乗る太った腹をした市長も来ていた。

大司教もセマナ・サンタ(復活祭)が近いので、当然その場にいる。

国王の末息子は、血を見ると尻込みしてしまう質だったにもかかわらず、王の代理としての義務を果たすために堂々と座っていた。

まさに人間から神に至るまで、この国のあらゆる重要な存在がそこにいた、と言っても過言ではないだろう。

 

 

ドン・ドミンゴは演出の技術に長けていた。

彼は、パームサンデー(エルサレム入場の日)に入場できるよう、当局と交渉していたのだ。

記者やフォトジャーナリストが、大勢の人々の間を縫って彼の乗った馬車に群がる。

男たちは歓声を上げ、ピンク色の頬をした乙女たちが何人も父親の腕の中で気を失った。

黒の上着に白のレギンスという出で立ちの車夫が、恭しく馬車のドアを開ける。

ドミンゴの桃色の布で巻かれた闘牛士にふさわしい頑丈な脚が、金色に輝く馬車のステップに降り立った。

「ビバ!ドン・ドミンゴ!万歳!」 観客は歓声を上げた。

トレロ、トレロ!オレ、オレ!と歓声は続く。

ドミンゴは白いシャツに黒いネクタイといういでたちだった。

真紅のぴったりとした衣装が彼のスレンダーな体を際立たせ、金色の肩章はその姿をより重厚に見せていた。

歓声の中、ドミンゴは手にしたモンテーラハットを振った。

その髪はきれいに整えられ、後頭部で束ねられていた。

ただ一房だけはみ出した髪が、眉間にふわりとかかっている。

彼は、感謝の気持ちを込めて帽子を胸の上に置き、空中に素早く投げキスをした。

時が止まったようなその瞬間、群衆はモーゼが立ち向かった海のように左右に分かれ、エレガントなマンチラ(レースの被り物)で身を包んだ美しい女性が近づいてきた。

片手には繊細なヒヤシンスの刺繍が施された扇子を持ち、もう片方の手には銀のカップが握られている。

 

すっと通った鼻筋と、熟れたチェリーのような赤い唇を持つその女性は、ドミンゴにカップを手渡すと「テンプラニーリョをどうぞ。」と言った。

 

ドン・ドミンゴはカップの中身を一気に飲み干し、観客の歓声に応えてそれを空中で振って見せる。

 

「なるほど、Sangre de Toro(雄牛の血)の味がする。」

彼は自信に満ちた笑顔で言った。

 

美女は微笑みを扇子で隠しながら、空になったカップをまるで宝物のように受け取った。

 

----------------------------------------

ムーア風のアーチで縁取られた闘牛場は超満員で、これ以上はアリの子一匹忍び込む余地もないほどだった。

ドミンゴは広場の中央に立っていた。

彼はマノレティーナ(闘牛士用の靴)の先で、砂のグリップを確かめた。

 

 

「牛を放て!」

ドミンゴは死に直面した男だけが持つ毅然とした決意を込めて、そう言った。

ガラガラと音を立てて、重い門扉が持ち上がる。

暗いトンネル内は静寂に包まれた。

牛は一歩も動かなかった。頭を下げたまま立っている。

獰猛な角を威嚇するように突き出した様子は、まるで巨大なサーベルタイガーの上あごを逆さにしたような形をしていた。

じっと動かない間も、牛の強烈な視線はドミンゴの姿から離れない。

一瞬たりとも。

 

「不思議だ。」とドミンゴは自分に言い聞かせるように言った。

この牛は薬でも盛られたのだろうか?

いや、そんなことは許さない!

もし、彼が今日この大きな獣に死を与えるのであれば、これまでと同じく堂々と、平等な条件で行わなければならないのだ。

 

「どういうことだ、マノロ?」

ドミンゴは助手のひとりに尋ねた。

「この牛に何かしたのか?」

彼は頭を振りながら、牛がびくとも動かない理由を求めた。

 

「こいつは戦いを拒否しているようです、マスター。

こんなことは前代未聞です。」

と、マノロは言った。

 

「なるほど。」

ドミンゴは不敵な笑みを浮かべて命じた。

「馬を使ってでも、この牛を闘牛場に引きずり出すんだ。

もうこんなに時間が経ってしまった。

今すぐ闘いを始めなければ!」

助手たちは言われたとおりにした。

しかし、今度は馬が言うことをきかない。

慌てて手綱を引くが、馬は円を描くように走り回るだけだった。

観客は両手で口を押さえている。

子供たちは落ち着きをなくし、助手たちはなすすべもなく打ちひしがれている。

 

「あり得ない...。いったいお前は神の慈悲か、それとも闇の獣なのか?」

ドミンゴは息を吐くようにそうつぶやいた。

助手たちは容赦なく鞭を打って挑発し、牛を闘牛場に押し込もうとした。

角に投げ縄をかけ、引っ張ったりもした。

しかし、すべて無駄であった。

雄牛はそのまま全く動かず、丈夫な若い臼歯のように大地にどっしりと根付いてしまったかのようだった。

 

その時、ドミンゴはこう宣言した。

「私の方からこの牛に近づき、決着をつけよう。」

ドミンゴは闘牛用ケープを前に、剣をその後ろにして掲げた。

ケープがカーテンのように剣を覆い隠している。

背中を少し丸め、敵に突撃する剣士のような勢いと覚悟で突き進む。

牛の姿がはっきりと目に飛び込んでくる。

そう、牛はそこにすっくと立っているのだ。

「こいつは見事な牛だ!」

牛の立ち姿はまるで、最も高い山の地底から掘り出された大理石の塊から彫られたようだ。

そう思いながら、ドミンゴは雄牛に近づいていく。

そのとき初めて、ドミンゴと牛の目が合った。

そしてその視線はその晩の間中、離れることはないのだった。

 

お前は何者だ?

私に何を示そうとしているのだ?

それが何であれ、早く始めてくれ...。

 

「Toro!(さぁ、来い!)」

ドミンゴは腹に力を込めて、叫んだ。

「迫り来る最期を迎えに来るのだ。私はお前を恐れはしない。」

まるで、雄牛が自分だけでなく時間までも凍らせてしまったかのような静寂の後で、ドミンゴはようやく我に返り、そう言った。

観客が再び歓声に包まれる。

 

「TORO!(来い!)」

ドミンゴの叫び声が響き渡る。

 

その言葉が彼自身の心に火をつけた。

決して怯えた様子を見せない闘牛士の口から飛び出した言葉は具現化され、スタンド全体に広がる。

その瞬間、牛は角を縄で引っ張っていた助手を跳ね飛ばすほどの勢いで、突進した。

そして貨物列車が全速力で走るのと同じくらいの勢いで、トンネルから飛び出してきた。

びっくりした馬が後ろ脚で立ち上がり、助手はすぐに振り落とされてしまった。

その雄牛の姿を見て、誰もが恐怖の息を呑む。

観客は総立ちになった。

牛はさらに勢いを増して、突進してきた。

その不気味で巨大な角は、ドミンゴをまっすぐに狙っている。

血の味が感じられるほどの怒りが伝わり、広場の空気をざわつかせた。

まるで闘牛場を完璧に左右対称に二分するかのような勢いで走る雄牛は、その1トンの体のすべての筋肉が見分けられるほどの隆々たる姿だった。

このまま空へ飛び立つのではないかと思うほどのスピードで、真っすぐドミンゴに向かって突き進んでくる。

ドミンゴは覚悟を決めた。

まさに、この瞬間を待っていたのだ。

 

 

 

マゼンタ色のマントを最後に大胆に揺らしながら、ドミンゴは言った。

「今日この場に血を流すのは、俺かお前か!」

彼はその刃を獣の肉体に突き立てようと、剣をしっかりと握りしめる。

そして、ついに人間と獣がぶつかり合う瞬間がやってきた。

 

「Sangre de Toro(雄牛の血)だわ。」

美しい女性は唇についた血のようなワインの一滴を舐め取りながら、そう言った。

 

闘牛場のムーア風アーチに観客の息遣いが響き、モロッコ風の幾何学模様のタイルに跳ね返る。

それは次第にテンプラニーリョワインそのもののように磨かれて柔らかくなり、丸みを帯びて響き渡るのだった。