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Kichi's Journal吉のワイン⽇記

2023/11/16

GrapeFox’s Great Greek Adventure 【 光の島デロス 】

吉 Kichi

ワインを造り、世界中のワインについて学び、そしてワインをこよなく愛するキツネの吉だよ。
世界中のすばらしいワインをみんなに知って欲しいと思っているんだ!
このブログでは、ブドウやワインのこと、生産国や歴史について、僕が知っているちょっとした豆知識を紹介していくね。

ワインの醸造家
エキスパート
歴史と情熱にあふれる素晴らしい人々、そしてもちろんおいしいワインに満ちた新しいギリシャの冒険の旅に出発しよう!

GrapeFoxのギリシャ大冒険2023、はじまり、はじまり!

歴史と情熱にあふれる素晴らしい人々、そしてもちろんおいしいワインに満ちた新しいギリシャの冒険の旅に出発しよう!

ギリシャワインの世界を本当に理解するためには、彼らの豊かな歴史を体感することがとっても役に立つんじゃないかな。

だから、古代世界において最も重要な商業の中心地であり、文化のるつぼであった場所、『デロス島』こそが旅のスタート地点にふさわしいと決めた!

さぁ、一緒にデロスへ出発だ!

 

デロス 〜光の島〜

 

デロス島(ギリシャ語では「ディロス」と発音する)は、キクラデス諸島のほぼ中心に位置する島で、光の神アポロンと、その妹である月光の女神アルテミスが生まれた地と言われている。古代ギリシャ人にとってはとても神聖な島だったんだ。

デロス島はやがて「光の島」として知られるようになった。デロス島はあまりにも神聖視されたため、アテネ人はこの地で人間が生まれることも死ぬことも禁じたほどだ。

誕生と死のサイクルから島を「浄化」するためというのが、その理由だったらしい。信じられないことに、妊娠中の女性や病弱な人々は、隣のリネア島に移動させられたんだよ!

 

神聖な島デロス

この時代のギリシャはいくつかの都市国家で構成されていたんだけど、お互いの関係はあまり平和的ではなかったということだ。たとえばアテネとスパルタという2つのギリシャ国家は、ほぼ1世紀の間、お互いの喉元に刃を突き付けあっていたのさ。

そんな状況にも関わらず、彼らはデロス島の神聖さと地中海流域における特別な地位を保つことについては、満場一致で合意していたようだ。

事実、デロス同盟というのは、外国の侵略に対抗するギリシャの都市国家の軍事同盟の連合体(今日のNATOのようなもの)だったんだよ。そしてデロス島にその本部が設立されたんだ。

ギリシャの宿敵である強大なペルシャでさえ、デロス島に攻め入ることをあきらめたんだとか。

デロス島がいかに神聖で特別であったかを物語っているよね。

 

デロス島の発展

またローマ帝国は、ロードス島の商業市場を破壊してまで、デロス島を免税地としたんだ。

ローマは一日にして成らずというけれど、デロス島に限っては当てはまらないんじゃないかな。

ローマ帝国による免税措置により、デロス島の住民は爆発的に増え、人々は新たな豊かさを享受した。最盛期には、デロス島の人口は3万人だったと考えられているよ。この島はわずか3.4km四方の面積しかない上に起伏に富んでいるため、古代世界では最も人口密度の高い地域のひとつだったんじゃないかな。

エジプト人やシリア人はデロス島と交易し、裕福なアテネ人は別荘を建てた。

当時のデロスには、独自の神殿(地元の神々と外国の神々を祀ったもの)(図4参照)、オリンピック・スタジアム(図70参照)、円形闘技場(地図右側)、さらには当時としては最新式の排水システム、島民に必要な水を供給する大きな貯水池(図46)まであったんだ。

これだけの設備を備えていたら、現代のギリシャの都市をうらやましがる必要はないよね。

そしてデロス島の衰退は、不幸な出来事の連続によってもたらされた。

ギリシャの暴君が侵略と略奪を繰り返したことや、マラリアの大流行によって当局は貯水槽の水を完全に排水せざるを得なくなったことで、かつて世界で最も重要な商業拠点とされていたデロス島は、瀕死の状態に陥ったんだ。

今日、デロス島にはほとんど人が住んでいない。

19世紀以降は、この島を発掘し続けている考古学者のための住居が郊外に点在しているだけだよ。

 

 

古代デロス島の地図
聖域と古代都市ベル・エウロパの復元-フランチェスコ・コミ、1995年

 

美しいデロス島

僕は今回の旅行で、「百聞は一見にしかず」というのは本当だと実感したよ。
みなさんにも、この特別な島の「静かな美しさ」を楽しんでもらえるように、写真をいくつか紹介するね。

絵のように美しいデロス港。
ここで使われている柱は、かつて裕福なアテネ人の豪華な別荘にあったものだよ。
特にこの柱は、クレオパトラ(エジプト女王になったクレオパトラじゃないよ)という名のアテネ貴族の女性のものだったんだ。
ちなみにクレオパトラという名前は、「栄光」を意味するクレオスと「父」を意味するパトラから来ているって知ってた?

 

 

ライオンのテラス。
ここはおそらく、デロス島を一番よく表している場所じゃないかな。
神々への捧げ物として、また島の壮大な経済的地位と世界への影響力を示す指標として、島にもたらされた一連の大理石のライオンが並んでいる様子は圧巻のひとことだよ。
この写真に写っているライオン像は、本物そっくりに作られたレプリカなんだ。
本物のライオン像は、島に吹きつける北風のせいでダメージを受け、急速に劣化してきたため、島の博物館に大切に保管されているよ。

 

 

 

この複雑なモザイクは、デリアン家という貴族の別荘の床を飾っていたものだよ。
時間の経過とともに風雨にさらされ、あまり目立たなくなってしまったけれど、当時はギリシャ神話の酒の神ディオニュソスが虎に乗っている姿が描かれていたんだって!
ディオニュソスをたたえるさまざまな建造物があり、商業的にも優れていたにもかかわらず、デロス島はワインの生産地ではなかったんだ。
この島に住んでいた裕福なアテネ人や銀行家たちは、発酵させたブドウジュースをアッティカ(ギリシャ本土)から仕入れていた。
僕は、デロス島の石混じりの土壌は濃縮された個性的なワインを生み出すのにぴったりなはずなのに、なんでだろうと首をひねってしまったよ。
そして、思いついた...水だ!
すべて水が原因だったんだ!
デロスには雨水で満たされた大きな貯水槽があったんだけれど、前に書いたように、マラリアの大流行のせいで、完全に水を抜かなければならなかったんだ。
多くの裕福な家庭が地下30メートルまで井戸を掘っていたのには驚いたけど(そんな井戸に落ちたら大変だ!)、もちろん、この水はブドウ栽培よりも日常生活に使われただろうね。

 

 

午後の日差しを浴びながら、遺跡の中でうっとりとした表情を浮かべるデロスのネコ。
イタチと違って、ネコはデロス島にはもともといなかった動物なんだ。
でも、イタチよりネコの方がずっと魅力的だし、間違いなくこの場所の神秘的なオーラを高めていると思わない?

 

 

デロス島のすべての神殿と主要なアゴラがあった城塞の跡。
ここには写っていないけれど、地平線の向こうには、後にここに定住したローマ人の別荘があるよ。

 

 

イシス神殿。
この美しいファサードは、異国の神、すなわちエジプトの癒しと魔術の女神イシスに捧げられたデロス神殿の一例なんだ。
これは、デロス島では宗教的自由が一般的だったってことを表している。
他にも、昔のシリアの神々に捧げられた神殿や祠、シナゴーグがあるよ。

 

 

コンペタリアストのアゴラ(市場)にある円形の建物(紀元前2世紀)。
写真で見るだけでも圧倒されるのに、いったい最盛期にはどんな姿だったんだろう...。

 

デロス島の光は別世界から届いているみたいだ...。
一瞬、別の惑星にいるような気がしたよ。

 

 

 

デロス島の海岸に打ち上げられた現代の小型船。デロス島そのものと同じように、かつての姿を美しくも破滅的に再現している。この小さな船を見て、僕はヘミングウェイの偉大な小説『老人と海』を思い出したよ。

 

 

デロス島へ行くには、ボヘミアンでフォトジェニックなミコノス島から船かフェリーに乗るのが一番さ。

わずか30分(往復1時間)の船旅だよ。